私の父(故人)は、京都で写真館を営んでいました。 写真館は住居も兼ねており、1階に暗室、居間、中庭、台所、トイレがあり、2階に撮影スタジオと待合室、写真修正などをする仕事部屋がありました。
当時、私と姉とお手伝いさんは、3人で2階で寝ていました。 私達の寝室は、父の仕事部屋だったのです。
仕事の事が気がかりなのか、幼い私達が心配なのか、父は時々私達が寝ている明かりを消した仕事部屋にやって来て、椅子に座り、机に向かって電気もつけずに写真の修整をしていました。 現在のネガフィルムと違い、当時は「たね板」と呼ばれるガラス板に感光剤が塗られたものがネガ代わりとなっていました。
そのたね板に写ったモノを先の尖った鉛筆のようなものでキーキーと音を立てて修正をするのです。
その日も父は夜中に仕事をしてました。 かけているメガネに月の光が反射し、チカッと光ります。 そして、キーキーと言う音が聞こえます。 幼い私は、父の仕事の邪魔をしてはいけないとトイレを我慢していました。
しかし、とうとう我慢が出来なくなり、仕事部屋の電気をつけました。
すると父はいません。 今まで座っていたはずの椅子は机にきちんと納まっています。 こんな事が頻繁にあったのです。
父は徹底した職人気質で、写真に対して妥協を許さない人でした。
今思えば、気がかりな事があると、肉体から魂が抜け出し、執着する所にいたのでしょう。 父は時々「仕事が終わったと思ったが、それは夢だったのか」と話す事がありました。
幽体離脱と言う言葉があります。 これは、自分の魂(幽体)が肉体を飛び出していく事です。まさしく父がそうでした。
幽体離脱は、父の場合もそうですが執着がある所にいく事が多いようです。
デパートのおもちゃ売り場で、整頓していたはずの商品(おもちゃ)が翌日違う場所にあったり、少し散らかっていたりする事が良くあるそうです。 子供のおもちゃに対する執着が、幽体離脱をしてその場で遊んでしたのでしょう。
また、別の見方で「生霊」と言うものがあります。 生きている人の霊ですね。これも執着から幽体離脱をしているのです。
通常、本人に幽体離脱をしている自覚はほとんどなく、せいぜい「生々しい夢」の感覚位です。
そのため、実はあなたも何かに執着があるならば、幽体離脱しているのかも知れませんね。