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文字を小さく文字を大きく トップページ一翠コラム > 一翠コラム No.10 スピ・エコ -スピリチュアルな視点から考えるエコロジー

スピ・エコ -スピリチュアルな視点から考えるエコロジー

エコロジーとは
エコロジー(ecology)とは元々「生態学」を指す言葉ですが、現在では一般的に地球環境保護全般を指します。 具体的には二酸化炭素の削減のためにエネルギーの消費を抑えたり、リサイクルやゴミの削減、自然エネルギーの積極的利用促進、自然保護や環境保全などが挙げられます。

例えば「地球温暖化だからエアコンの温度を下げよう」と見聞きしても、今の段階で地球温暖化の大きな影響を個人レベルで受けている実感は湧きにくいかも知れません。中には「しなくてはいけないのかな?」「やっぱりした方がいいよなぁ」程度で、どこか他人事のような感覚を持つ方もいらっしゃるかも知れません。
また、優越感を得るためにエコロジーを声高に叫ぶ人や、利己主義からエコロジーを儲けの道具にする場合もあります。

私達の考えや感情の結果が行動であり、行動の結果が現在の状況であるならば、内面を変化させる事で行動が変わり、現在の状況が変わるはずです。

スピリチュアルは自己の内面など「目に見えないもの」も含め、物事の本質を知ろうとする心(魂)の学びです。
スピリチュアルな視点、或いはスピリチュアルの姿勢でエコロジーを考えると、もっと全体的な部分が見えてくるでしょう。
そして、それが考えや行動に反映されれば、おのずと行動が変わるのではないかと考えます。

「地球温暖化だからエアコンの温度を下げよう」と言った対処療法的なエコロジーの方法論だけではなく、もっと人々の内面から考える方が自然なのかも知れません。そんな想いから「スピリチュアル」と「エコロジー」をあわせてスピ・エコとしました。

ヒッピーとスピリチュアルとエコロジー

60年代、アメリカを中心に文明・文化や西洋的な現代社会を否定し、愛と平和と自由、そして自然を声高に提唱するヒッピー・ムーブメントが起りました。
彼等は唯物的な西洋の現代社会を否定し、東洋の文化や東洋の哲学を積極的に取り入れました。
そして、神秘主義やニューエイジの思想に傾倒していきます。
ニューエイジは精神世界、つまり現代のスピリチュアリズムの骨子となっています。
同時にヒッピー達は自然回帰を掲げ、ナチュラリズムやエコロジーに目を向けるようになりました。

ヒッピーと言えば、自由の名の下での無秩序な異性交遊、酒や薬物の乱用などネガティヴな要素もありますが、ヒッピー・ムーブメントはスピリチュアルな思想とエコロジーの概念が同じ土壌に存在していたと言えるでしょう。

梵我一如の思想から学ぶ

古代インドの「バラモン教」の聖典の中に「梵我一如(ぼんがいちにょ)」と言う考え方があります。
梵(ブラフマン)とは「宇宙の根本原理」、我(アートマン)は「自分(自我/魂や自分の本体や本質)」、一如は「同じ」を意味しています。
つまり、我と言う「ミクロ」な宇宙と「マクロ」な宇宙が同一であると言う思想で、自分の本質の中に宇宙の根本原理があると言う考え方です。
宇宙の根本原理とは、スピリチュアルでよく使われる「宇宙」や「真理」と同じ意味合いで、目に見えない部分も含めたあらゆる世界、あらゆる現象や摂理の根本原理と言えるでしょう。
また、梵には「はじめからある生命の源」と言う意味も含まれています。
生命の源ですから、そこにはもちろん草木も他の生き物も有機物も全て含まれています。
これをスピ・エコ風に解釈をすれば、「自分の本質も自然も源は同じ」「自分の中に自然を内包している」と言えます。
梵我一如の境地に達する事(解脱)は私達にはなかなか出来ません。
しかし、道端の雑草も飛んでいる蝶々も、木も森も山も川も地球も、自分と等しいものであり、自分そのものであると考える事は出来るかも知れません。

ナチュラリストであり思想家であるアメリカのポール・シェパード氏はこのように言っています。
人間は自然の健康を自分自身の体調そのものであるかのように気遣い、大切にし、また自分の健康を自然の体調の一部として怠りなく大切にしていかなくてはなりません。

自分自身に対して責任を持つように、自分自身を守るように、自分自身を大切にするように、自然をみつめる事が出来れば、自然とスピリチュアルなエコロジーを実践出来るようになると考えています。
人間は自然の健康を自分自身の体調そのものであるかのように気遣い、大切にし、また自分の健康を自然の体調の一部として怠りなく大切にしていかなくてはなりません。ポール・シェパード

神道から学ぶ

神道は日本古来の民族宗教です。
八百万(やおよろず)の神が存在し、森羅万象全ての物事に神が宿ると考えられています。
その中でも「依り代」(よりしろ)と「形代」(かたしろ)は、そんな神道の概念が良く現れています。

依り代とは憑代とも書き、神が現れるときに宿る物の事です。
お正月の注連縄(しめ縄)や門松は依り代で年神様を迎えて祀るために飾られていました。
面白い所では相撲の横綱も依り代で、大まわしの綱はしめ縄と同じような意味合いがあります。(横綱は言わば聖なる職。だから「品格」に重きを置かれるのでしょう。)
神社のご神体も依り代です。
ご神体は神社によって様々で、鏡や石や木などの他、奈良県の大神神社は三輪山、和歌山の飛瀧神社は那智の滝と言ったように自然そのものがご神体の神社もあります。

形代は、他のモノに自身の穢れを移して清めるための身代わりの品です。
人型に切った紙で体を撫でて息を吹きかけて、海や川に流します。雛人形はこの形代が原型と言われています。

このような神道の考え方は日本人に根強く残っています。
最近はあまり聞かれませんが、親が子供に「ご飯を残してはいけません。お米には八十八の神様が宿っているのですよ。だから米は八十八と書くのですよ。」と言う言葉があります。
森羅万象に神が宿ると言う概念は、自然だけでなく物全般に対して敬う「もったいない」精神を育てる土壌になったのかも知れません。

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江戸時代から学ぶ

300年続いた江戸時代は世界屈指の循環型社会を実現していたと言われています。
江戸の町は全国から無数の人達が住むようになった事で、人口過密な大都市となりました。

江戸時代のリサイクル・リユースは徹底しています。
洋服と異なり、直線で出来ている着物は縫い目をほどくと四角い布になりますので、他の着物を作る事も出来ますし、つぎはぎして刺し子の着物にも出来ます。
ありとあらゆるファブリックとして使用出来た上に、最後は雑巾やおしめとなり繰り返し使われていました。
布物では風呂敷もあります。「風呂」と言う名が示すように、風呂敷は入浴の際に着物を包んでおいたり足元に敷いて足拭き代わりに利用されていました。
その後、様々な大きさの風呂敷が出来、あらゆる物を包み持ち運べる変幻自在な鞄として使用されていました。
手ぬぐいは手や体を拭くものでしたが、縫い合わせて着物のようなものを作る事もありましたし、使い古した手ぬぐいを下駄の鼻緒にする事もあったそうです。

紙(和紙)は漉き直してリサイクルペーパーとして再生し、かまどの灰は石鹸として使用しました。
さらに驚くべきは糞尿処理です。
諸外国ではもよおすと所構わずと言った状態で、ハイヒールや長いドレスは外で排泄するために生まれたと言う説がありますが、江戸時代は長屋単位の糞尿を専門の回収業者が回収し、農家が購入し肥料にしていました。

さらに、いろんなジャンルの修理屋がいました。
たるや桶のたが(枠)をはめ直す「たが屋」、キセルの修理をする「羅宇(らう)屋」、割れた茶碗などを接着して直す「焼継(やきづき)屋」、傘やちょうちんの張替え屋、鍋や釜など金物修理の「鋳掛(いかけ)屋」など、枚挙にいとまがない程、生活雑貨のほとんどが修理可能だったそうです。

私達の祖先はこのようなリサイクル文化を当たり前として生きていたのですね。

パタゴニア社とアルピニストに学ぶ

アウトドア・ウェアで有名なメーカーパタゴニア(Patagonia)
そのパタゴニアの企業理念(ミッション・ステートメント)は、最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する。です。
その姿勢は徹底しており、自社製品の素材の段階から販売する店内の電気消費まで「環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える」努力をされています。
パタゴニアのウェブ・コンテンツ「フットプリント・クロニクル」では、いくつかの自社製品が出来上がるまでの「移動距離」「二酸化炭素排出量」「廃棄量」「エネルギー消費量」を提示し、良い点と悪い点を提示しています。(これらの計算の仕方もウェブで公開されています)

また、様々な環境活動を行っていますが、企業イメージ向上のための社会貢献とは一線を画すものです。
自社の名前の由来であるパタゴニアに世界に誇れるような国立公園(自然保護区)を作るとか、点在する保護区を連結し野生動物が移動するための「回廊」の設立を目指す「フリーダム・トゥ・ローム(行動域の解放)」と言った壮大な環境キャンペーンを続けています。

登山用品からはじまったパタゴニアは、アルピニストの意識を持ち続けている企業です。

アルピニスト野口健氏は、エベレストやマッキンリーなどの7大陸最高峰を当時最年少で全て登頂しました。
そんな折、山に日本人が捨てたゴミが大量にある事を知り、エベレストの清掃登山を行いました。
野口氏は、山のゴミを拾う事で山を自然の状態にする事以上に、自らの活動が多くの人の「環境に対する意識の変化」のきっかけになればと活動されています。
そして「富士山から日本を変える」をスローガンに富士山の清掃登山、エコツアー、「野口健環境学校」、レンジャーの整備など様々な活動を行っています。
野口健公式WEBサイト

登山を通して自然を十分理解し、自然を敬うアルピニストの環境活動は、単に山と言う「個」に対する意識ではなく、自然全体、地球全体に対する視点を持っている事が解ります。
最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する。パタゴニアのミッション・ステートメント

エコフィロソフィー(エコソフィー)とガイア理論

フィロソフィー(ソフィー)とは哲学の意味があります。
エコフィロソフィーは哲学的な側面からエコロジーを捉える思想です。
環境汚染問題やエネルギー問題を解決するための対処的なエコロジーではなく、生物的見地に根ざした考え方がエコフィロソフィーにはあります。
人間中心主義ではなく地球全体をひとつの生命体として捉え、自然も動物も人間も等しく共存・共生する考え方に基づいています。
日本では間瀬啓允氏(ませひろまさ/東北公益文科大学教授)がエコフィロソフィーを提唱しています。
間瀬氏は著書「エコロジーと宗教」の中で「『私』は自然によって『生かされ生きている』」と述べています。

全く同じ考え方として「ガイア理論」があります。
化学者ジェームズ・ラブロック氏が提唱した仮説で、地球とそこに住む生物が共存・共生し環境を変化させる事で、地球全体が「ホメオスタシス」を有しているひとつの生命体であると言う考え方です。
ホメオスタシスとは、生物のもつ重要な性質のひとつで、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず、生体の状態が一定に保たれるという性質、あるいはその状態を指します。恒常性とも言われます。(引用:Wikipedia)

エコフィロソフィーもガイア理論も「地球をひとつの生命体」として考えています。
先の「梵我一如」にも通ずる考え方ですが、このような全体性はスピリチュアルにとって核となる考え方と言っても過言ではないでしょう。

シャロー・エコロジーとディープ・エコロジー

ノルウェーの哲学者アルネ・ネス氏が1972年にディープ・エコロジーを発表しました。
ディープ・エコロジーとは、人間は自然環境の一部に過ぎないものであり、生命は全て同等の価値があるのだから人間が他の生命の価値を侵害してはならないと言う考え方です。
また自然環境と人間との関わりについて各自が見つめ、気付き、自覚し、そして行動する事が重要だと説いています。

ディープ・エコロジーの概念に対し、あわせてシャロー・エコロジーの概念を定義し提唱しました。
ディープ(deep)は「深い」ですが、シャロー(shallow)は「浅い(浅はかな)」と言う意味があります。
シャロー・エコロジーとは、先進国に住む人々の健康や豊かな生活、社会の維持のために環境汚染や資源枯渇に反対すると言った「人間の利益のためのエコロジー」を指しています。

例えば、環境に配慮した再生紙と言うふれこみで実際は古紙を配合していない紙だった、商品をたくさん売りたい目的でエコロジーを冠する、ゴミ処理場建設をエコロジーを盾として地元地区から追いやる、と言った「エゴイスティックな目的の手段」としてエコロジーが使われる事があります。
それこそ「浅はかなエコロジー」と言えるでしょう。

ディープエコロジーのプラットフォーム

1984年、アルネ・ネス氏はディープ・エコロジーの指針として「プラットフォーム」(基本的合意事項)と呼ばれる8つの原則を発表しました。

第1原則(固有の価値)
地球上の人間そして他の生命の繁栄は、固有の価値をもっている。人間以外の生命形態の価値は、人間の狭い目的のためにこれらが有している有用性からは独立している。

第2原則(相互依存)
生命形態の豊かさと多様性は、それら自身において価値があり、地球上の人間と他の生命の繁栄に寄与する。

第3原則(豊かさ・多様性の維持)
人間は自らの生存に関わる必要(vital needs)を満たす場合を除き、この豊かさと多様性を削減する権利はない。

第4原則(人為)
人間以外の世界に対する、人間の現在の干渉は度を越しており、その状況は急速に悪化している。

第5原則(人口)
人間の生活・文化の羽いは、人口がかなりの減少しても成り立ちうる。他の生物の繁栄のためには、そのような人口の減少が必要である。

第6原則(政治)
生活状況の意味ある改善には、政治の変革が必要である。これは、経済・技術・イデオロギーの基本構造に影響を及ぼす。

第7原則(価値観)
イデオロギーの変革とは主に、高い生活水準への執着ではなく、むしろ(固有の価値を有する状況に根付いた)生き方の質を理解する変革である。大きい(big)ことと偉大である(great)こととの違いが深く自覚されるだろう。

第8原則(ディープ・エコロジー運動の展開)
以上の諸点に賛同する人は、必要とされる変革を実行する企てに、直接的ないし間接的に参加する義務がある。

(引用:http://www.symlab.sys.i.kyoto-u.ac.jp/research/deep-eco/deepecology.htm

プラットフォームを読んでみると「何をどうするか」と言った内容には一切触れておらず、観念的・概念的なイメージが先行します。
8つの原則は基本的合意事項ですが、全てに同意しなければならないものではありません。
プラットフォームの原則について、各自で考えたり問いかけたり、地域ぐるみで話し合うなど、個人レベルから地域や社会レベルまで、プラットフォームの原則に基づき考えた活動が実践できるように、意図的に曖昧な表現にとどめています。
イデオロギーの変革とは主に、高い生活水準への執着ではなく、むしろ(固有の価値を有する状況に根付いた)生き方の質を理解する変革である。大きい(big)ことと偉大である(great)こととの違いが深く自覚されるだろう。ディープ・エコロジー プラットフォーム第7原則

最後に最後に

スピリチュアルを知り、触れる事で、内面の幸せを実感できるでしょう。
自然を知り、触れる事で、自然に対する愛と畏怖を実感できるでしょう。
スピ・エコはこのふたつが同じ線上にあると考えています。

自然環境だけが大切なのではなく、人間だけが大切なのではなく、どちらも等しく大切です。
何故ならば「私」は「自然」であり、「自然」は「私」なのですから。

もし「スピリチュアル大好きで地球に無関心な人」や
「ナチュラリストやエコロジストで自分や他人の心を大切にしない人」が
いるとするならば、このページが心の琴線にほんの少しでも触れる事を願ってやみません。

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