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文字を小さく文字を大きく トップページ一翠コラム > 一翠コラム No.4 最期を看取ったヒーリング

コラム
No.4
このコラムは死期間近の末期がん患者さんをヒーリングした時の話です。

最期を看取ったヒーリング

平成7年の2月中旬の事でした。
関西から男性が透視リーディングに来られました。
お会いして早々に、母親の写真を見て欲しいと言われました。そして、母を名古屋に連れて来るので見て欲しいと言われました。
その方のお母さんは末期がんで、中国から気功の先生を呼び寄せたり、良いと言われるものはどんどん取り入れる等されていたそうです。
しかし、これといった効果がなく、わらをもすがる思いで私の所に来られたようでした。

それから間もなく、名古屋市内のホテルを借りたと言うので出かけていきました。
ベッドで寝ている女性を見た瞬間

「あかん。」

と思いました。
内臓全体の細胞はほとんど死んでいる状態で、既に死臭がしていたのです。

息子さんに「申し訳ないけどこれはとてもじゃないが私の手に負えない。」と断りましたが、息子さんの熱意に負けてヒーリングを引き受けました。

それから毎日ホテルに通い、ヒーリングをしました。最初は弱々しく「なすがまま」の状態だったのですが2〜3日で少し元気になられました。
そして、元気になった途端、お母さんは全く私の言う事を聞いてくれませんでした。
その女性は医師で、非科学的な事は一切信じず、それどころか軽蔑すらしていたのです。
そのため非協力的どころか、手を当てる事すら一切認めず、私に対してあからさまに冷たく軽蔑した態度を示しました。家族の頼みで仕方なく「手を当てさせてやっている」と言う感じで、なんとか手を当てる事だけは出来ました。

数日後、息子さんに私はこう言いました。
「本人が信じず受け入れる気が全くないので、ある程度のエネルギーは入ってもそれ以上は受け入れない。これでは、やっていても意味がないのでお断りしたい。」
しかし、またも息子さんの説得で、腹を決めて最後まで面倒を見てあげようと決心しました。

お母さんは自分の病気の事は全く知らされていませんでした。私のヒーリングをきちんと受けて1日でも長生きして欲しいと思った家族は、苦渋の決断をし、母親に告知をしたそうです。
それからは、以前ほど抵抗を示さずヒーリングを受けてくれるようになりました。

毎日欠かさずヒーリングを続けました。
状態としては寝たきりのままではありましたが、意識はしっかりしていて小食ながら食事も出来ていました。
内臓全体の細胞はほとんど死んでいる状態のまま止まっていた。と言う感じでした。


夏の終わりの事です。
「母が風邪を引いた」と息子さんより連絡がありました。
くれぐれも風邪には気をつけるように、風邪を引くと最後だよと何度も言っていましたので、来る時が来たと思いました。
暑いため、クーラーを付けっぱなしにしてた事が原因だったようです。

日課のヒーリングをするためにお母さんの元を訪れました。ひと目見て
「もう駄目です。限界ですね。」と息子さんにお話しました。
そして、息子さんの気持ちを思うと泣けてきました・・・。
その日の夜に容体が急変し、肺炎で緊急入院をされました。

病院では、担当医の先生と息子さんと話しをする機会がありました。
ヒーリングをしている事を知った先生が、何故あの状態でも生きているのか不思議で仕方ないと話された事が印象に残っています。
その後、息子さんに私はこう言いました。
「もう私の力も及びません。病院に来てヒーリングをした所で、息子さんの気休めにしかなりません。」
すると、息子さんは
「医者にはひな祭り迄持たないと告知されていました。それがここまでもってくれたのは一翠先生のお陰だと家族全員が思っています。」
と答えて下さいました。
少し救われたような気持ちがしました。

もういくらやっても無駄な事は解っていましたが、私はヒーリングを続けました。
お母さんは全く動けない状態でしたが、手をあてると「熱いから嫌だ」と手を出して払いのける仕草をされていました。

翌日の夕方、やはり私はヒーリングを始めました。その時お母さんはほとんど意識がない状態に見えました。そんな状態で何度も何度も繰り返しベッドの横の時計を見ていたのが不思議でした。
後から解った事ですが、同時刻、関西の実家ではお母さんの足音が聞こえたり、誰もいないのに扉を開け閉めする音が聞こえたそうです。
恐らく、死ぬ間際の魂が家に戻っていたのかも知れません・・・・。

ヒーリングを終え病院から戻ってしばらく経った夜8時頃、電話がかかってきました。
お母さんが危篤と聞き、急いでまた病院に行きました。
そして、その夜中に他界されました。


最初にお会いした時から、既にいつ亡くなってもおかしくない状態でした。
医者から宣告された時期よりも、半年も寿命が延びたのは、家族の強い愛情があったからでしょう。
私も微力ながらお手伝いが出来たと思っています。


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