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自分から霊を呼び込む

リーディングで稀にお会いするのですが

自分から霊を呼び込む

タイプの方がいらっしゃいます。

霊の影響を大変受けやすく、時には何体か憑依されている場合もあります。
そして、除霊をしても、しばらくするとまた霊的な影響を受けている傾向が見受けられます。

このタイプのほとんどの方が次の2つの要素を持っています。

・普段から霊を見たり、感覚的に察知できる  ・物事をネガティヴに捉えやすい(マイナス思考)

見たくもないのに霊を見たり、感じたり、時には憑依されると言った現象は、どちらかと言えば不快・不愉快なものです。
時には怖い思いをする事や体調不良になる事もあるでしょうし、嫌な目に遭う事もあるでしょう。
多かれ少なかれ、霊感が強い方や霊を察知できる感覚を持っている方は、このような体験をしているはずです。

霊感が強い、霊を察知できる感覚を持っている、これだけでは自分から霊を呼び込む事はありません。
霊呼び込んでしまう最大の原因は、自分自身の意識です。

物事をネガティヴに捉えやすい考え方や性格傾向を持っている事で、自分自身の波動がネガティヴにシフトします。
似たような波動は共鳴しやすいため、ネガティヴなエネルギーを持つ霊と呼応しやすいと言えます。

また、霊を察知できる感覚により霊的な体験をしてしまうのですが、再度同じような体験をしまうのではないかと言う恐怖感が必要以上に心を覆い尽くします。
そして、常に「霊の影響を受けてしまう」と言う意識が強くなり、ちょっとした事でも「霊ではないか」「霊のせいではないか」と考えます。
この意識は「引き寄せの法則」、自ら霊を引き寄せているに他なりません。

霊を引き寄せ、ネガティヴなエネルギーを持つ霊と呼応しやすい訳ですから、必要以上に霊的な影響を良く受けます。
すると、霊的な体験が増えていき、さらに「霊の影響を受けてしまう」と言う意識が強まる、こんな悪循環に陥る可能性が強くなります。
ですから、除霊したとしてもすぐに霊を背負い込んでしまいます。

先日お会いした自分から霊を呼び込むタイプの方は「霊と目が合うと、どうしても霊から目を背けられなくなる」そうです。
以前、霊を見た時に金縛りなどで視線を動かす事が出来ない体験をしていて、それが元になっているのか知れません。
しかし、この方が言われている内容は、全て霊のせいではなく、ほとんどの場合、自分自身が「目を背けられない」と思い込んでいるために「体が従っている」のが実情です。

どうしたら自分から霊を呼び込まなくなるのか、それは自分の意識を変える事です。

霊を意識せず、霊を察知しても軽く受け流す位の気持ちでいる事
もし、霊の影響を受けた場合、自分自身を強く持つ事
そして、物事をポジティヴに捉えるようにする事

これらは全て自分自身の気持ちから来ているものですから、自分でしか変える事が出来ないでしょう。

自分の意識を変えると自分自身の波動が変わります。
自分自身の波動がポジティヴになれば、不快な霊体験は少なくなります。
自分自身の波動が高くなれば、霊的な体験でも素晴らしい体験が出来るかも知れません。

霊感の強い方や、霊を察知できる感覚を持っている方で、不快な霊体験がとても多い方は、一度自分の意識を見つめてみると、改善のヒントがあるかも知れませんよ。

続・自分から霊を呼び込む

先日、メルマガで「自分から霊を呼び込む」と言うコラムを掲載しました。
このコラムを載せたからと言う訳ではないのでしょうが、それ以降立て続けにこのタイプの方から透視リーディングのご依頼がありました。

お会いすると、確かに憑依されている方も複数いらっしゃいました。
除霊をした上で簡単に憑依されないようにしたのですが、数日もしないうちに、決まって「また憑依された」と連絡があります。(^^; 
自分で呼び込んでいますので自分の意識を変えないと、この悪循環は断ち切れないのですが、すぐに自分の意識を変える事は難しいかも知れませんね。
まずは、霊にこだわらない事が重要です。

実は、自分から霊を呼び込むタイプの方の中には、霊の影響を一切受けていない方もいらっしゃいます。

「憑依されている」
「霊につきまとわれている」
「あちこちから霊の声が聞こえる」
「霊のせいで時々苦しくなる」
「霊のせいで毎日うなされる」

等の訴えがあるのですが、霊的な影響を全く受けていない、或いは霊的な影響を感じられないのです。

その中には、精神科や心療内科に通院中の方もいらっしゃいました。
体調面に原因のある方もいらっしゃいました。
強いストレス等で心に病的な変調を来たしており、幻聴や幻覚を現実だと思われている方もいらっしゃいました。

これらのケースは、いずれも霊的な影響ではなく、他に要因や原因があったのです。
語弊があるかも知れませんが、不可解な現象や判らない要因・原因を「霊」に求めたと言えます。
その事自体を否定するつもりはありませんが、心や体に変調があるにも関わらず「霊」のせいにしてしまうと、適切な診察や治療を受ける機会を遅らせてしまう恐れがあります。
さらに前回もお話したように、霊に対する意識が強くなって、自ら霊を引き寄せてしまう可能性もあります。
やはり、霊にこだわらない事が重要ですね。

ちなみに、「霊のせいで時々苦しくなる」や「霊のせいで毎日うなされる」と言う訴えの方をリーディングした時は、体調面から来ていましたので病院に行く事を強くお勧めしました。


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腹が立つぜんざい

突然ですが、私は「ぜんざい」が好きです。(^^)
ここ最近美味しいぜんざいを食べていなかったので、しきりに食べたいと話していたら、友人が「今度の月曜日に作る」と約束してくれました。

約束通り月曜日にぜんざいを作ってくれました。
前日から小豆を水に漬けて、じっくりと炊き上げた本格派です。
ぜんざいを自宅に持ち帰り、さっそく温めてワクワクしながらいただくと


・・・・・マズイ・・・・

物凄く不味く感じたと共に、無性に腹が立ちました。

友人は過去に何度もぜんざいを作ってくれています。
いつも美味しいぜんざいのはずなのに今回は不味いのです。

たくさんもらったので、仕方なく食べるのですが、食べる度に腹が立ちます
意味もなく腹が立つのです。


もらったぜんざいがあと1椀分になった時にふと気付き友人にこう訊ねました。

「ぜんざい作ってる時、何か腹が立ってた?」

するとこんな答えが返ってきました。

「土曜日から火曜日まで外壁の塗り替えをやってたんだけど、その間ずっとシンナー臭くて、不愉快でずっとイライラしてた。」

友人のイライラした感情のエネルギーがぜんざいに移っていました
食べるたびに腹が立ったのはこのせいだったのです。

不愉快な波動を持つ食べ物がとても不味く感じるのは自然な事。
食べ物を通してマイナスの波動を感じた事ははじめてでした。

美味しい料理の隠し味は愛情、と良く言われますが真実です。
そして、その逆もある事を今回の経験を通して実感しました。

料理を作る時は「おいしくなってね」と心を込めて作ると必ず、いつもより、もっと美味しくなりますよ。
是非お試し下さい!


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意思の疎通

このコラムはメルマガで反響のあった意思の疎通についてのお話です。(メールマガジン掲載内容を編集しています)

意思の疎通

ちょっと前の話ですが、電車で移動中にこんな事がありました。

 

10代後半の発達障害(恐らく自閉症)らしき男の子が「ウー」「アー」とはしゃぎながら車両の中をうろうろしていました。
つり革にぶら下がったり、窓の外を見て声を上げたりしていたのですが、私をみつけるなり走って近づいてきました。

 

隣にドスンと座り、私に顔を近づけました。
その距離10センチ程度。
一緒にいたよいこさんがかなり驚いていましたが、彼は全く構わずに、私の顔を覗き込みながら「アーアー」「アウー」と話し出しました。

 

聞こえてくる言葉自体は、意味のない音の連なりでしかありません。
しかし、イメージとして伝わる内容は、はっきりと解りました。

自分はしっかり喋っているのに相手が理解しない。
バカにするからくやしい。
何でもすぐに忘れるから人にたずねるんだ。
お金がいくらなのか、どの駅で降りればいいのかとか。
でも、聞いても誰も教えてくれない。
どうしても解らなくてたずねても、誰も教えてくれないしバカにする。
なんで?

きっと他から見ると不思議な光景だったかも知れません。
必要以上に近い距離でこんな会話を交わしていたのですから。(^_^;)

 「アーアー、アウー」

「君はバカじゃないよ。普通だよ。」

「アウー、アー」

「それはね、多くの人が君の言葉が解らないからだよ。」

「ヴー」

「だからといって皆が君をバカにしているんじゃないんだよ。」

「アーアー」

「そうだね。嫌な人もいるよね、でも、みんなそうじゃないでしょ?」

「アウー」

 

彼は、自分の意思が通じた事がとても嬉しかったようで上機嫌になり、自分の趣味の話やどこの駅で降りるという事も教えてくれました。

 

「次の駅で降りるんでしょ?」

と私が言うと、ニコニコしながら隣の車両へ走っていきました。
気にして見ていると、駅についたらちゃんと改札口への階段に近いドアから降りていました。

 

彼は自分の意志や言葉を人に伝えたいと強く思っていました。
その気持ちはとても純粋でストレートでした。

 

強いイメージを相手に送る事が出来、またそのイメージを理解しそうな相手を見極める力を彼は持っていました。
それは、皮肉な事に言葉が喋れないからこそだったのです。

 

今、この話をご紹介していて、人類が言葉を持つ前はこんな感じで意思の疎通をはかっていたのかなとあらためて思いました。

意思の疎通・第2弾

前回の「意志の疎通」はとても反響がありました。
その中で、こんなお問い合わせを頂きました。

 

「病人で意識のない人や植物状態になった人はどうなんでしょうか」

と言う事で、意志の疎通・第2弾です。

 

以前、話の流れで知人の友人のお見舞いに伺った事があります。
病室に着くと知人がベッドの奥に座っていました。
その方を見ると意識がなく、ひと目で長くないと言う事が解りました。

 

知人が、その方についての事をいろいろ話し出しました。

「この人、長い事苦しんどったけど、長く」

と言う言葉が出た時に、「シー」と言うゼスチャーをして慌てて話をさえぎりました。

「この人、全部解ってるよ。」

「意識がないのに、そんなバカな話あらすか。(名古屋弁)」

「いや、全部解ってる。自分から話が出来ないだけで全部聞こえて理解してるから。
ね、○○さん。今まで大変だったね。苦しかったね。でも、元気になるために頑張ろうね。きっと元気になるよ。」

と、ゆっくり話しかけました。

 

すると、その方は意識がないはずなのにうっすらと涙をにじませていました。
そしてほんの少し、ゆっくりうなづいたのです。
錯覚かと思えるほどの微妙な動きでしたが、それを見た知人は

 

「○○さん!動けへんのに!!」

 

と信じられない顔をして驚いてました。

 

この方は、自分の命の火が消えようとしている事を知りませんでした。
痛くても辛くても必死に生きようとする気持ちが伝わってきましたので頑張ってと励ましました。

 

もし、みなさんも同じような状況に遭遇した時には病床にいる方に、普段と同じように話しかけてあげてくださいね。

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盛り塩について

盛り塩について

塩について

塩は人間の生活に欠かすことの出来ないものです。
昔は塩を手に入れるために交易ルートを作ったり、貨幣として使った地域もあった程です。
人間の血液の中で塩分はおよそ0.9%の濃さに保たれています。神経の働きにも塩が必要です。
もし欠乏したら脱水症状や、血圧の低下や倦怠感・脱力感、精神不安定等の症状が現れます。
生きる為に塩が必要なだけでなく、塩を元に保存防腐料や医薬品・化粧品・化学製品の基礎原料となります。
また、古くから塩の持っている優れた浄化力・殺菌力がある事は知られており、エジプトでは死体をミイラにする為に塩漬けにした記述があります。
馴染み深い所では漬物や塩鮭なども防腐効果がある保存食ですね。

信仰と塩

塩は昔から清浄・不変・結合といった神聖性をそなえているものとして、さまざまな国で神秘的な物として捉えられていました。
例えば「旧約聖書」にも塩の記載がありますし、日本では「古事記」に海水にて禊祓(みそぎはらい)をした記載があります。
古代エジプトでミイラに塩を用いた史実は物理的な防腐効果以外にも、死体保存の呪術的役割をしていたと考えられています。
塩は海水から採れます。その為、塩は海の豊饒性や清浄性の象徴としても考えられていました。
鹽竈(塩釜)神社は日本の製塩の創始者と言われる塩土老翁(しおつちのおきな)をご神体にしていますが、ここは安産祈願で有名です。
これは、塩=海水が地球上の生命の源であり、人の生死に海潮の干満が影響を及ぼしている事から由来していると言われています。
また、葬式後の「お清めの塩」には穢れを祓うだけでなく、生命力を更新される意味合いも含まれているそうです。

盛り塩の由来

盛り塩は中国の故事に由来しています。
中国の皇帝は奥方や愛人がたくさんいて、彼女達の所へは牛車に乗って出かけていました。
そこで、美妃が一計を案じ牛の好きな塩を自分の住まいの前に盛り、牛を止めて皇帝の気を引こうとした事が始まりです。
客の足を止める縁起ものが日本にも伝わり、店の入り口に盛り塩をする習慣が出来たと言われています。
他には上賀茂(賀茂別雷)神社の拝殿前に一対の円錐形に盛った浄め砂、「立砂」に端を発していると言う説や、海水や塩水を桶に入れて神棚に供えたり、門口に撒いたりする「塩水桶」と言う民間風習から来ていると唱える学者もいるそうです。

盛り塩のやり方

設置場所は玄関や入り口、家や住んでいる人の凶方位・凶方位にある水場などが良いでしょう。
盛り塩は天然の粗塩を用い、半紙や小皿に一掴み程(5~10g程)を乗せます。
円錐状にしなくても結構です。
設置後は通常週1度~月2回位の割で取り替えます。
湿気の多いところや水場等はこまめに交換した方が良いでしょう。
交換後の塩はすぐに捨てましょう。

霊的な問題に

誰もないのに気配がする、とか訳もなく「暗い」「寒い」「怖い」と思う場所があれば、霊的現象の可能性も考えられます。
風水でもこういった場所は邪気、陰の気とされます。このような所には以下の方法が有効です。
家の中から外(玄関)に向かう順番で全ての部屋の四隅に盛り塩を設置していきます。
盛り塩そのものは上記の方法で結構です。
もっと強力な方法は、住んでいる人全員が粗塩を3本指(親指・人差し指・中指)でひとつまみずつ白い小皿に盛ります。
その上に住んでいる人全員の数え年の合計数だけの米粒と小豆を載せます。
これを1年間、気になる場所に設置します。(この方法は塩の交換はしなくてもよい)
1年経ったら粗塩、米粒、小豆、小皿はなるべく早く家の外に出した方が良いので全て処分します。
塩類は捨てたり外に撒いたりします。小皿は外で割り捨てます。

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スピ・エコ -スピリチュアルな視点から考えるエコロジー

スピ・エコ -スピリチュアルな視点から考えるエコロジー

エコロジーとは

エコロジー(ecology)とは元々「生態学」を指す言葉ですが、現在では一般的に地球環境保護全般を指します。
具体的には二酸化炭素の削減のためにエネルギーの消費を抑えたり、リサイクルやゴミの削減、自然エネルギーの積極的利用促進、自然保護や環境保全などが挙げられます。

例えば「地球温暖化だからエアコンの温度を下げよう」と見聞きしても、今の段階で地球温暖化の大きな影響を個人レベルで受けている実感は湧きにくいかも知れません。中には「しなくてはいけないのかな?」「やっぱりした方がいいよなぁ」程度で、どこか他人事のような感覚を持つ方もいらっしゃるかも知れません。
また、優越感を得るためにエコロジーを声高に叫ぶ人や、利己主義からエコロジーを儲けの道具にする場合もあります。

私達の考えや感情の結果が行動であり、行動の結果が現在の状況であるならば、内面を変化させる事で行動が変わり、現在の状況が変わるはずです。

スピリチュアルは自己の内面など「目に見えないもの」も含め、物事の本質を知ろうとする心(魂)の学びです。
スピリチュアルな視点、或いはスピリチュアルの姿勢でエコロジーを考えると、もっと全体的な部分が見えてくるでしょう。
そして、それが考えや行動に反映されれば、おのずと行動が変わるのではないかと考えます。

「地球温暖化だからエアコンの温度を下げよう」と言った対処療法的なエコロジーの方法論だけではなく、もっと人々の内面から考える方が自然なのかも知れません。そんな想いから「スピリチュアル」と「エコロジー」をあわせてスピ・エコとしました。

ヒッピーとスピリチュアルとエコロジー

60年代、アメリカを中心に文明・文化や西洋的な現代社会を否定し、愛と平和と自由、そして自然を声高に提唱するヒッピー・ムーブメントが起りました。
彼等は唯物的な西洋の現代社会を否定し、東洋の文化や東洋の哲学を積極的に取り入れました。
そして、神秘主義やニューエイジの思想に傾倒していきます。
ニューエイジは精神世界、つまり現代のスピリチュアリズムの骨子となっています。
同時にヒッピー達は自然回帰を掲げ、ナチュラリズムやエコロジーに目を向けるようになりました。

ヒッピーと言えば、自由の名の下での無秩序な異性交遊、酒や薬物の乱用などネガティヴな要素もありますが、ヒッピー・ムーブメントはスピリチュアルな思想とエコロジーの概念が同じ土壌に存在していたと言えるでしょう。

梵我一如の思想から学ぶ

古代インドの「バラモン教」の聖典の中に「梵我一如(ぼんがいちにょ)」と言う考え方があります。
梵(ブラフマン)とは「宇宙の根本原理」、我(アートマン)は「自分(自我/魂や自分の本体や本質)」、一如は「同じ」を意味しています。
つまり、我と言う「ミクロ」な宇宙と「マクロ」な宇宙が同一であると言う思想で、自分の本質の中に宇宙の根本原理があると言う考え方です。
宇宙の根本原理とは、スピリチュアルでよく使われる「宇宙」や「真理」と同じ意味合いで、目に見えない部分も含めたあらゆる世界、あらゆる現象や摂理の根本原理と言えるでしょう。
また、梵には「はじめからある生命の源」と言う意味も含まれています。
生命の源ですから、そこにはもちろん草木も他の生き物も有機物も全て含まれています。
これをスピ・エコ風に解釈をすれば、「自分の本質も自然も源は同じ」「自分の中に自然を内包している」と言えます。
梵我一如の境地に達する事(解脱)は私達にはなかなか出来ません。
しかし、道端の雑草も飛んでいる蝶々も、木も森も山も川も地球も、自分と等しいものであり、自分そのものであると考える事は出来るかも知れません。

ナチュラリストであり思想家であるアメリカのポール・シェパード氏はこのように言っています。
人間は自然の健康を自分自身の体調そのものであるかのように気遣い、大切にし、また自分の健康を自然の体調の一部として怠りなく大切にしていかなくてはなりません。

自分自身に対して責任を持つように、自分自身を守るように、自分自身を大切にするように、自然をみつめる事が出来れば、自然とスピリチュアルなエコロジーを実践出来るようになると考えています。

神道から学ぶ

神道は日本古来の民族宗教です。
八百万(やおよろず)の神が存在し、森羅万象全ての物事に神が宿ると考えられています。
その中でも「依り代」(よりしろ)と「形代」(かたしろ)は、そんな神道の概念が良く現れています。

依り代とは憑代とも書き、神が現れるときに宿る物の事です。
お正月の注連縄(しめ縄)や門松は依り代で年神様を迎えて祀るために飾られていました。
面白い所では相撲の横綱も依り代で、大まわしの綱はしめ縄と同じような意味合いがあります。(横綱は言わば聖なる職。だから「品格」に重きを置かれるのでしょう。)
神社のご神体も依り代です。
ご神体は神社によって様々で、鏡や石や木などの他、奈良県の大神神社は三輪山、和歌山の飛瀧神社は那智の滝と言ったように自然そのものがご神体の神社もあります。

形代は、他のモノに自身の穢れを移して清めるための身代わりの品です。
人型に切った紙で体を撫でて息を吹きかけて、海や川に流します。雛人形はこの形代が原型と言われています。

このような神道の考え方は日本人に根強く残っています。
最近はあまり聞かれませんが、親が子供に「ご飯を残してはいけません。お米には八十八の神様が宿っているのですよ。だから米は八十八と書くのですよ。」と言う言葉があります。
森羅万象に神が宿ると言う概念は、自然だけでなく物全般に対して敬う「もったいない」精神を育てる土壌になったのかも知れません。

MOTTAINAIオフィシャルサイト  MOTTAINAIオフィシャルサイト

  日本から生まれた「もったいない」が今、世界をつなげるアイコトバ、「MOTTAINAI」へ。

江戸時代から学ぶ

300年続いた江戸時代は世界屈指の循環型社会を実現していたと言われています。
江戸の町は全国から無数の人達が住むようになった事で、人口過密な大都市となりました。

江戸時代のリサイクル・リユースは徹底しています。
洋服と異なり、直線で出来ている着物は縫い目をほどくと四角い布になりますので、他の着物を作る事も出来ますし、つぎはぎして刺し子の着物にも出来ます。
ありとあらゆるファブリックとして使用出来た上に、最後は雑巾やおしめとなり繰り返し使われていました。
布物では風呂敷もあります。「風呂」と言う名が示すように、風呂敷は入浴の際に着物を包んでおいたり足元に敷いて足拭き代わりに利用されていました。
その後、様々な大きさの風呂敷が出来、あらゆる物を包み持ち運べる変幻自在な鞄として使用されていました。
手ぬぐいは手や体を拭くものでしたが、縫い合わせて着物のようなものを作る事もありましたし、使い古した手ぬぐいを下駄の鼻緒にする事もあったそうです。

紙(和紙)は漉き直してリサイクルペーパーとして再生し、かまどの灰は石鹸として使用しました。
さらに驚くべきは糞尿処理です。
諸外国ではもよおすと所構わずと言った状態で、ハイヒールや長いドレスは外で排泄するために生まれたと言う説がありますが、江戸時代は長屋単位の糞尿を専門の回収業者が回収し、農家が購入し肥料にしていました。

さらに、いろんなジャンルの修理屋がいました。
たるや桶のたが(枠)をはめ直す「たが屋」、キセルの修理をする「羅宇(らう)屋」、割れた茶碗などを接着して直す「焼継(やきづき)屋」、傘やちょうちんの張替え屋、鍋や釜など金物修理の「鋳掛(いかけ)屋」など、枚挙にいとまがない程、生活雑貨のほとんどが修理可能だったそうです。

私達の祖先はこのようなリサイクル文化を当たり前として生きていたのですね。

パタゴニア社とアルピニストに学ぶ

アウトドア・ウェアで有名なメーカーパタゴニア(Patagonia)
そのパタゴニアの企業理念(ミッション・ステートメント)は、最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する。です。
その姿勢は徹底しており、自社製品の素材の段階から販売する店内の電気消費まで「環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える」努力をされています。
パタゴニアのウェブ・コンテンツ「フットプリント・クロニクル」では、いくつかの自社製品が出来上がるまでの「移動距離」「二酸化炭素排出量」「廃棄量」「エネルギー消費量」を提示し、良い点と悪い点を提示しています。(これらの計算の仕方もウェブで公開されています)

また、様々な環境活動を行っていますが、企業イメージ向上のための社会貢献とは一線を画すものです。
自社の名前の由来であるパタゴニアに世界に誇れるような国立公園(自然保護区)を作るとか、点在する保護区を連結し野生動物が移動するための「回廊」の設立を目指す「フリーダム・トゥ・ローム(行動域の解放)」と言った壮大な環境キャンペーンを続けています。

登山用品からはじまったパタゴニアは、アルピニストの意識を持ち続けている企業です。

アルピニスト野口健氏は、エベレストやマッキンリーなどの7大陸最高峰を当時最年少で全て登頂しました。
そんな折、山に日本人が捨てたゴミが大量にある事を知り、エベレストの清掃登山を行いました。
野口氏は、山のゴミを拾う事で山を自然の状態にする事以上に、自らの活動が多くの人の「環境に対する意識の変化」のきっかけになればと活動されています。
そして「富士山から日本を変える」をスローガンに富士山の清掃登山、エコツアー、「野口健環境学校」、レンジャーの整備など様々な活動を行っています。
野口健公式WEBサイト

登山を通して自然を十分理解し、自然を敬うアルピニストの環境活動は、単に山と言う「個」に対する意識ではなく、自然全体、地球全体に対する視点を持っている事が解ります。

エコフィロソフィー(エコソフィー)とガイア理論

フィロソフィー(ソフィー)とは哲学の意味があります。
エコフィロソフィーは哲学的な側面からエコロジーを捉える思想です。
環境汚染問題やエネルギー問題を解決するための対処的なエコロジーではなく、生物的見地に根ざした考え方がエコフィロソフィーにはあります。
人間中心主義ではなく地球全体をひとつの生命体として捉え、自然も動物も人間も等しく共存・共生する考え方に基づいています。
日本では間瀬啓允氏(ませひろまさ/東北公益文科大学教授)がエコフィロソフィーを提唱しています。
間瀬氏は著書「エコロジーと宗教」の中で「『私』は自然によって『生かされ生きている』」と述べています。

全く同じ考え方として「ガイア理論」があります。
化学者ジェームズ・ラブロック氏が提唱した仮説で、地球とそこに住む生物が共存・共生し環境を変化させる事で、地球全体が「ホメオスタシス」を有しているひとつの生命体であると言う考え方です。
ホメオスタシスとは、生物のもつ重要な性質のひとつで、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず、生体の状態が一定に保たれるという性質、あるいはその状態を指します。恒常性とも言われます。(引用:Wikipedia)

エコフィロソフィーもガイア理論も「地球をひとつの生命体」として考えています。
先の「梵我一如」にも通ずる考え方ですが、このような全体性はスピリチュアルにとって核となる考え方と言っても過言ではないでしょう。

シャロー・エコロジーとディープ・エコロジー

ノルウェーの哲学者アルネ・ネス氏が1972年にディープ・エコロジーを発表しました。

ディープ・エコロジーとは、人間は自然環境の一部に過ぎないものであり、生命は全て同等の価値があるのだから人間が他の生命の価値を侵害してはならないと言う考え方です。

また自然環境と人間との関わりについて各自が見つめ、気付き、自覚し、そして行動する事が重要だと説いています。

ディープ・エコロジーの概念に対し、あわせてシャロー・エコロジーの概念を定義し提唱しました。

ディープ(deep)は「深い」ですが、シャロー(shallow)は「浅い(浅はかな)」と言う意味があります。

シャロー・エコロジーとは、先進国に住む人々の健康や豊かな生活、社会の維持のために環境汚染や資源枯渇に反対すると言った「人間の利益のためのエコロジー」を指しています。

例えば、環境に配慮した再生紙と言うふれこみで実際は古紙を配合していない紙だった、商品をたくさん売りたい目的でエコロジーを冠する、ゴミ処理場建設をエコロジーを盾として地元地区から追いやる、と言った「エゴイスティックな目的の手段」としてエコロジーが使われる事があります。

それこそ「浅はかなエコロジー」と言えるでしょう。

ディープエコロジーのプラットフォーム

1984年、アルネ・ネス氏はディープ・エコロジーの指針として「プラットフォーム」(基本的合意事項)と呼ばれる8つの原則を発表しました。

第1原則(固有の価値)
地球上の人間そして他の生命の繁栄は、固有の価値をもっている。人間以外の生命形態の価値は、人間の狭い目的のためにこれらが有している有用性からは独立している。
第2原則(相互依存)
生命形態の豊かさと多様性は、それら自身において価値があり、地球上の人間と他の生命の繁栄に寄与する。
第3原則(豊かさ・多様性の維持)
人間は自らの生存に関わる必要(vital needs)を満たす場合を除き、この豊かさと多様性を削減する権利はない。
第4原則(人為)
人間以外の世界に対する、人間の現在の干渉は度を越しており、その状況は急速に悪化している。
第5原則(人口)
人間の生活・文化の羽いは、人口がかなりの減少しても成り立ちうる。他の生物の繁栄のためには、そのような人口の減少が必要である。
第6原則(政治)
生活状況の意味ある改善には、政治の変革が必要である。これは、経済・技術・イデオロギーの基本構造に影響を及ぼす。
第7原則(価値観)
イデオロギーの変革とは主に、高い生活水準への執着ではなく、むしろ(固有の価値を有する状況に根付いた)生き方の質を理解する変革である。大きい(big)ことと偉大である(great)こととの違いが深く自覚されるだろう。
第8原則(ディープ・エコロジー運動の展開)
以上の諸点に賛同する人は、必要とされる変革を実行する企てに、直接的ないし間接的に参加する義務がある。
(引用:http://www.symlab.sys.i.kyoto-u.ac.jp/research/deep-eco/deepecology.htm

プラットフォームを読んでみると「何をどうするか」と言った内容には一切触れておらず、観念的・概念的なイメージが先行します。
8つの原則は基本的合意事項ですが、全てに同意しなければならないものではありません。
プラットフォームの原則について、各自で考えたり問いかけたり、地域ぐるみで話し合うなど、個人レベルから地域や社会レベルまで、プラットフォームの原則に基づき考えた活動が実践できるように、意図的に曖昧な表現にとどめています。

最後に

スピリチュアルを知り、触れる事で、内面の幸せを実感できるでしょう。
自然を知り、触れる事で、自然に対する愛と畏怖を実感できるでしょう。
スピ・エコはこのふたつが同じ線上にあると考えています。

自然環境だけが大切なのではなく、人間だけが大切なのではなく、どちらも等しく大切です。
何故ならば「私」は「自然」であり、「自然」は「私」なのですから。

もし「スピリチュアル大好きで地球に無関心な人」や「ナチュラリストやエコロジストで自分や他人の心を大切にしない人」がいるとするならば、このページが心の琴線にほんの少しでも触れる事を願ってやみません。

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