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コラム Archive

最期を看取ったヒーリング

このコラムは死期間近の末期がん患者さんをヒーリングした時の話です。

 

平成7年の2月中旬の事でした。
関西から男性が透視リーディングに来られました。
お会いして早々に、母親の写真を見て欲しいと言われました。そして、母を名古屋に連れて来るので見て欲しいと言われました。
その方のお母さんは末期がんで、中国から気功の先生を呼び寄せたり、良いと言われるものはどんどん取り入れる等されていたそうです。
しかし、これといった効果がなく、わらをもすがる思いで私の所に来られたようでした。

 

それから間もなく、名古屋市内のホテルを借りたと言うので出かけていきました。
ベッドで寝ている女性を見た瞬間

「あかん。」

と思いました。
内臓全体の細胞はほとんど死んでいる状態で、既に死臭がしていたのです。

息子さんに「申し訳ないけどこれはとてもじゃないが私の手に負えない。」と断りましたが、息子さんの熱意に負けてヒーリングを引き受けました。

それから毎日ホテルに通い、ヒーリングをしました。最初は弱々しく「なすがまま」の状態だったのですが2~3日で少し元気になられました。
そして、元気になった途端、お母さんは全く私の言う事を聞いてくれませんでした。
その女性は医師で、非科学的な事は一切信じず、それどころか軽蔑すらしていたのです。
そのため非協力的どころか、手を当てる事すら一切認めず、私に対してあからさまに冷たく軽蔑した態度を示しました。家族の頼みで仕方なく「手を当てさせてやっている」と言う感じで、なんとか手を当てる事だけは出来ました。

 

数日後、息子さんに私はこう言いました。
「本人が信じず受け入れる気が全くないので、ある程度のエネルギーは入ってもそれ以上は受け入れない。これでは、やっていても意味がないのでお断りしたい。」
しかし、またも息子さんの説得で、腹を決めて最後まで面倒を見てあげようと決心しました。

 

お母さんは自分の病気の事は全く知らされていませんでした。私のヒーリングをきちんと受けて1日でも長生きして欲しいと思った家族は、苦渋の決断をし、母親に告知をしたそうです。
それからは、以前ほど抵抗を示さずヒーリングを受けてくれるようになりました。

 

毎日欠かさずヒーリングを続けました。
状態としては寝たきりのままではありましたが、意識はしっかりしていて小食ながら食事も出来ていました。
内臓全体の細胞はほとんど死んでいる状態のまま止まっていた。と言う感じでした。

 

夏の終わりの事です。
「母が風邪を引いた」と息子さんより連絡がありました。
くれぐれも風邪には気をつけるように、風邪を引くと最後だよと何度も言っていましたので、来る時が来たと思いました。
暑いため、クーラーを付けっぱなしにしてた事が原因だったようです。

 

日課のヒーリングをするためにお母さんの元を訪れました。ひと目見て
「もう駄目です。限界ですね。」と息子さんにお話しました。
そして、息子さんの気持ちを思うと泣けてきました・・・。
その日の夜に容体が急変し、肺炎で緊急入院をされました。

 

病院では、担当医の先生と息子さんと話しをする機会がありました。
ヒーリングをしている事を知った先生が、何故あの状態でも生きているのか不思議で仕方ないと話された事が印象に残っています。
その後、息子さんに私はこう言いました。
「もう私の力も及びません。病院に来てヒーリングをした所で、息子さんの気休めにしかなりません。」
すると、息子さんは
「医者にはひな祭り迄持たないと告知されていました。それがここまでもってくれたのは一翠先生のお陰だと家族全員が思っています。」
と答えて下さいました。
少し救われたような気持ちがしました。

 

もういくらやっても無駄な事は解っていましたが、私はヒーリングを続けました。
お母さんは全く動けない状態でしたが、手をあてると「熱いから嫌だ」と手を出して払いのける仕草をされていました。

 

翌日の夕方、やはり私はヒーリングを始めました。その時お母さんはほとんど意識がない状態に見えました。そんな状態で何度も何度も繰り返しベッドの横の時計を見ていたのが不思議でした。
後から解った事ですが、同時刻、関西の実家ではお母さんの足音が聞こえたり、誰もいないのに扉を開け閉めする音が聞こえたそうです。
恐らく、死ぬ間際の魂が家に戻っていたのかも知れません・・・・。

 

ヒーリングを終え病院から戻ってしばらく経った夜8時頃、電話がかかってきました。
お母さんが危篤と聞き、急いでまた病院に行きました。
そして、その夜中に他界されました。

 

最初にお会いした時から、既にいつ亡くなってもおかしくない状態でした。
医者から宣告された時期よりも、半年も寿命が延びたのは、家族の強い愛情があったからでしょう。
私も微力ながらお手伝いが出来たと思っています。

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夢のお告げ

このコラムは私にとって転機となった夢のお告げの話です。

 

以前から、夢のお告げのようなものは時々見ていました。
しかし、この時に見た夢は、その後の私を変える転機となったと言っても過言ではない重要な夢でした。

 

平成5年に見た夢です。
見知らぬ人が夢に現れこう言ったのです。

 

「あたは凄くパワーが出ているから人を治してあげなさい。」
何度も何度も念を押すように言われた夢でした。

 

既に3~4年前から、腰痛や肩こりをはじめ色々な方に気軽に手をあててはいました。そのため、特にこの夢を気に留めることはありませんでした。

 

数日後、また同じ方が夢に現れました。

 

「アルコールはあなたに合わないので商売をやめなさい。
そしてあなたのパワーを使って人を救ってあげなさい。
それがあなたのこれからの仕事です。」

と言われました。

 

この時、私はスナックを経営していました。
12年も13年も営んできた店を「ただの夢」のために左右されて良いものかすごく迷いました。
しかし、今まで夢の中でいろいろな事を教えてもらいたくさんの恩恵を受けている事も事実です。
とても迷いましたが、結局この時は愛着のある店をなくす事が出来ませんでした。

 

しかし、その夢を見て以来お客様がぷっつりと来られなくなりました。
その上立て続けに2回も泥棒に入られました。

 

夢のお告げを真剣に考えざるを得なくなり、翌年閉店させました。

 

それまでは店があったため、透視リーディングやヒーリングをいろいろな方に役立てる時間がほとんどありませんでした。言葉は悪いですが片手間だったのです。
それと共に「自分の使命である」と言う自覚はほとんどなかったのです。
お店がなくなった事で本格的にいろいろな方とお会い出来るようになりました。
そして、いろいろな方から感謝のお言葉を頂くたびに幸せを感じました。
それと共に、これが自分の使命なのだと言う実感も強くなっていきました。

 

今ではこの時に閉店していて良かったと思っています。

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真夜中の父 ~幽体離脱~

私の父(故人)は、京都で写真館を営んでいました。 写真館は住居も兼ねており、1階に暗室、居間、中庭、台所、トイレがあり、2階に撮影スタジオと待合室、写真修正などをする仕事部屋がありました。

当時、私と姉とお手伝いさんは、3人で2階で寝ていました。 私達の寝室は、父の仕事部屋だったのです。

 

仕事の事が気がかりなのか、幼い私達が心配なのか、父は時々私達が寝ている明かりを消した仕事部屋にやって来て、椅子に座り、机に向かって電気もつけずに写真の修整をしていました。 現在のネガフィルムと違い、当時は「たね板」と呼ばれるガラス板に感光剤が塗られたものがネガ代わりとなっていました。

そのたね板に写ったモノを先の尖った鉛筆のようなものでキーキーと音を立てて修正をするのです。

 

その日も父は夜中に仕事をしてました。 かけているメガネに月の光が反射し、チカッと光ります。 そして、キーキーと言う音が聞こえます。 幼い私は、父の仕事の邪魔をしてはいけないとトイレを我慢していました。

しかし、とうとう我慢が出来なくなり、仕事部屋の電気をつけました。

 

すると父はいません。 今まで座っていたはずの椅子は机にきちんと納まっています。 こんな事が頻繁にあったのです。

 

父は徹底した職人気質で、写真に対して妥協を許さない人でした。

今思えば、気がかりな事があると、肉体から魂が抜け出し、執着する所にいたのでしょう。 父は時々「仕事が終わったと思ったが、それは夢だったのか」と話す事がありました。

 

幽体離脱と言う言葉があります。 これは、自分の魂(幽体)が肉体を飛び出していく事です。まさしく父がそうでした。

 

幽体離脱は、父の場合もそうですが執着がある所にいく事が多いようです。

デパートのおもちゃ売り場で、整頓していたはずの商品(おもちゃ)が翌日違う場所にあったり、少し散らかっていたりする事が良くあるそうです。 子供のおもちゃに対する執着が、幽体離脱をしてその場で遊んでしたのでしょう。

 

また、別の見方で「生霊」と言うものがあります。 生きている人の霊ですね。これも執着から幽体離脱をしているのです。

 

通常、本人に幽体離脱をしている自覚はほとんどなく、せいぜい「生々しい夢」の感覚位です。

そのため、実はあなたも何かに執着があるならば、幽体離脱しているのかも知れませんね。

 

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黒い影

このコラムはプロフィールの中で簡単に紹介している内容の一部始終です。

 

妊娠中のある日、夜中に真っ暗な部屋へ男性の黒い影が入って来る気配で目が覚めました。
それと同時に身体が動かなくなりました。
その黒い影は茶箪笥の中を物色すると、寝ている私の体をまたぎました。
布団に掛かる足の重さを感じ、怖くて寝たふりをしつつ薄目を開けながら動向を見ていました。
そして反対側の洋服タンスの引き出しを開けて物色していました。
物色したラジオや洋服、通帳など様々なもの持ってその影が出口に向かった時、身体が動くようになりました。
慌てて電気をつけると、その影はそこにありませんでした。
嫌なものを見たなと思いつつ、その時はそのまま寝つき、翌日会社に出勤しました。

翌日、会社に近所の人から「玄関のドアの鍵が壊されている」と連絡が入りました。
家に帰ってみると空き巣に入られていました。
ラジオ、洋服、そして出産費用を貯めていた預金通帳や印鑑、保険証など
金目のものは全てなくなっていました。
昨晩、黒い影が物色していたものと同じものが。

 

鑑識の人達が銀粉を使い部屋中の指紋採取をしていた時に、刑事がこう言いました。
「ある所が解って取っているような犯行だ。顔見知りの犯行かも知れないが」と訊かれたその時
見た事のない20代の男性の顔が一瞬はっきりと見えました。
そのため「私の知らない人です。」ときっぱりと答えてしまいました。
逆に、おかしな挙動ととられたようで、細かい事を尋ねてきました。
自分では見えていても、それを言うと怪しがられるので、結局そのまま黙ってしまいました。

 

9ヶ月程経った時、突然警察から呼び出されました。
空き巣の常習犯が捕まり、私の保険証を使い、家から盗んだ商品を質屋に入れていたそうです。
小さな窓ガラス越しに、捕まった犯人の姿を見せられました。
まさしく、あの時はっきりと顔が見えていた20代の男性でした。
心の中では「この人です!」と叫んでいましたが、知らない人を見てこの人だと言っても
警察で怪しまれるだけです。
自分の中で物凄くジレンマを感じながら「知らない人です。」と答えました。

 

それにしても、あの黒い影は一体何だったのでしょう。
自分が予知していたのか、空き巣自身の生霊(または幽体離脱した本人)を見てしまったのか
今でも解りません。

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